これだけは知っておこう!バレーボールの基礎知識!

バレーボール発祥の地と歴史を考察!

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バレーボールは日本でも非常に人気の高いスポーツですが、その発祥の地や歴史をご存じでしょうか?

世界バレーやオリンピックが開催されると、私たちはこぞって試合をみては熱狂します。

学校の部活動には必ずといって良いほどバレーボール部がありますし、ママさんバレーやレクリエーションなど、私たちにとって昔から身近で親しみのあるスポーツの1つです。

では、そんな人々に愛されるバレーボールは一体どこで誰の手によって生まれたのでしょうか?

今回は、バレーボール発祥の地や名前の由来、日本へ普及するまでの歴史についてまとめてみました。

バレーボールが誕生してからおおよそ130年。

その長い歴史を辿ると、今もなお老若男女に愛され続ける理由が浮かび上がってきます。

早速みていきましょう。

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バレーボールはアメリカ発祥!

バレーボールは、1895年にアメリカのマサチューセッツ州で、ウィリアム・G・モルガン氏よって考案されました。

ウィリアム氏は国際YMCAトレーニングスクール卒業後、体育の教師をしていました。

その当時屋内スポーツではバスケットボールが主流でしたが、運動量も多く激しめのスポーツとして位置づけされていたことから、プレーしているのは若者ばかりだったのです。

それを見ていたウィリアム氏は、女性や子供、お年寄りまで老若男女が気軽に参戦できるスポーツがあればいいなと考えました。

そこで誕生したのが、バレーボールです。

1895年2月9日が『バレーボール発祥の日』と呼ばれています。

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バレーボールの名前の由来は?

バレーボール発祥の地アメリカで、ウィリアム氏が考案した当初、バレーボールは「ミノネット」「ミントネット」と呼ばれていました。

元々、バレーボールは、テニスやバドミントンからヒントを得てできた競技だったため、語源はそこにあるのでしょう。

1952年にYMCAトレーニングスクール教官だったハルステッド氏によって、「バレーボール」と名付けられました。

その語源は、テニスのボレー(ボールが地面に落ちる前に打ち返す技)からきているといわれています。

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バレーボールが現在の形になるまで!

バレーボールが日本にやってきた当初、発祥の地アメリカでは、そのルールは適当だったといいます。

プレーする場所は屋外だったり、人数もコートの広さも、さらにはボールを返す回数も決まっていませんでした。

現在よく見るのは6人制でのプレーですが、初めてできた日本のチームはなんと16人!

そこから徐々に人数は減り、最終的には9人で定着したようです。

その名残で現在もママさんバレーボールや、小学生バレーボール、実業団では9人制が採用されているんですね。

1947年、フランス・パリに国際バレーボール連盟(FIVB)が設立され、今までゆるく設定されていたバレーボールのルールが明確になっていきます。

人数はアメリカやヨーロッパで主流だった6人制。

日本も1951年加盟以降、6人制が取り入れられていきます。

元々は、「ネットを挟んでボールを打ち合う」それだけがルールとして設定されていたバレーボールですが、長い歴史を経て様々なルール改正がなされています。

点数の取り方も、サーブ権を持つチームがラリーに勝利した時のみ得点が入っていたサイドアウト制から、サーブ権を持たないチームもラリーに勝利すれば得点が入るラリーポイント制に変わりました。

そして、バレーボールといえば高身長の選手が多いイメージがありますが、低身長の選手も活躍できる場をつくるため導入されたのがリベロです。

リベロは守備専門の選手で、アタックは得意、でも守備が苦手という選手をカバーする役割も果たしています。

1964年東京オリンピックにて日本は、身長やパワーの面で劣る部分を、独自に開発した回転レシーブ、フライングレシーブ、時間差攻撃などのコンビネーション技によって、見事金メダルを獲得し『東洋の魔女』と呼ばれるまでになりました。

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まとめ

バレーボールの発祥から、現在に至るまで、その歴史をみてきました。

バレーボールの人気が高まってきていますが、そのルーツや辿ってきた足跡を把握しておくと、試合観戦がより楽しくなりそうですね。

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